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UTSUWA(『スイマー』より)

第十五回文学フリマの少し前に、文学フリマ非公式ガイドの第一版について連続ツイートしたとき、よこい隆さんの文章を引用した。『銀座線第17号』収録作の『ともだち』の推薦文である。

「物語でしか小説を読めない方には、あるいは退屈な小説だろう。だが小説とは、文章と出来事の連鎖なのであり、それを現前させているのがこの小説だ。」


僕は、なんとなく感じるところがあってこの部分を引用したんだけど、ちゃんと理解しているかと言われると、正直怪しかった。僕は自分でも小説とか書いているわりに、文章そのものにはとんと疎いのである。

ところが先日、サークル「スイマーズ」さんの『スイマー』という本に掲載された、佐藤芙有さんの『UTSUWA』という小説を読んだとき、先のよこい隆さんの一文が急に思い出されて、ピンときたのである。そうか。これがアレなんだ、と。

http://minasoco.jimdo.com/

いや、ひょっとすると違うのかも…。

まあ僕の理解がおかしいとしても、それは僕なんだから仕方がないのである。とにかく『UTSUWA』は物語を追うばかりが小説ではないということを、強固な説得力をもって僕に理解させてくれた。

『UTSUWA』では、あるモデルとそれを撮影する写真家が描かれるが、本作を「小説」という言葉を使わずに説明しようとするならば、写真集に近い。もちろん、優れた写真家の作品がそうであるように、佐藤芙有さんが現実から切り出したヒトコマの情景は、現実を凌駕している。

ちょっとだけ転載させていただくと、

「二つの器に、切った寒天をざらざらといれてやる。ミツのしわしわの、シミの無数に浮き出た腕は、水に濡れて光っている。彼女の肌は容易に水を弾くことはないのだ。太いけれど、星の数ほどの作業をこなして繊細な動きを骨にしみ込ませた指が、寒天をつかみ、一見ぞんざいに、器の中に積み上げていく。」


この描写における、寒天に接する指の腹のニュアンスたるや! やさしく、とも、そっと、とも書かれていないのだ。

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無痛コメディ教育 笑いたい奴こっち来い!

第十五回文学フリマで消耗しきった僕は、翌日ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを鑑賞したことでさらに精神衰弱し、記憶が混濁したような変な状態になってしまった。こりゃ1週間くらいは余計なことを考えずに早く寝たほうがいいな、とか思いつつ最初に読んだ文学フリマの戦利品、それが、文芸界の立川志の輔こと星井七億さんのサークル「んんん文庫」が発行した、『無痛コメディ教育 笑いたい奴こっち来い!』であった。購入時に「アド街を見た」と言うと300円に負けてもらえたアレである。

http://7oku.hatenablog.com/entry/2012/11/07/120848

文学フリマって、お笑い系の本とか少ないよな。特に小説ジャンルは。もっとあっていいと思いますね。

『無痛コメディ教育 笑いたい奴こっち来い!』はすごい面白かった。そして、意外とちゃんとしていた。変な言い方だが、表紙とかあんな感じだしもっとムチャクチャなのかと思ったらそうでもなく、真面目にバカバカしいことを書いてる系であった。オチとか綺麗だし。

特『ここは童貞処分場』は傑作。マジ傑作。童貞小説の最高峰。アイヌ・ケンネル氏の『鎮守の森の夜祭』がエベレストだとすれば、こっちはK2。最高峰じゃないじゃん。いや、登頂の難しさで言えばK2のほうが上。『ここは童貞処分場』は冬季のK2に初めて登頂した童貞小説といっても過言ではない。どんなだ。

とにかく傑作であることは確かで、もし『ここは童貞処分場』が昭和15年よりも前に出ていたら、『走れメロス』は世に出なかったであろう。とりあえず屋代さんには読ませたいと思う。

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さよならという子

この間、第十五回文学フリマで買った本だ。義里カズ氏の作品である。

さよならという子』、その名はシーユー。さよならが、彼女の名前である。

シーユーは爪を切らない。シーユーは窓辺で寝る。シーユーは外に出たがらない。シーユーは自分のために贅沢をされると怒りだし、ホールで買ったケーキを十六ぶんの一しか食べない。

ああ、シーユーのかわいさ! 僕はシーユーを忘れられない。

名前ってのはとても大事だ。別れの言葉が名前になっているということだけで、ある日とつぜんエリーの部屋にあらわれた彼女が、よけいにはかなく思えるのだ。まださよならは言いたくない、と。

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その夏

少年、自転車、五合目。目指すのは、富士山である。パンパンにはったふくらはぎ、肌にはりつくTシャツ。夕焼け、野宿、小さな出会い。

結城歳久氏が掌編『その夏』で描いたのは、ありふれた夏の出来事である。ありふれているけれど、感動する。なぜなんだ。だがよく考えたら不思議なことなどなくて、僕らはいつだって、ありふれたことに感動している。

小説家としての僕がこぼしてきてしまったもの、諦めてしまったものが、この作品にはある。僕はもう、『その夏』のような作品には戻れないだろう。だけど、僕がそういう小説を読みたいとき、他の誰かが書いていてくれる。それは、素晴らしいことなのだ。

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僕たちのゲーム史

 僕はゲームばっかりやって大人になった人間なので、ゲーム脳が本当だとしたら、それはまさに僕の脳なのである。ゲームに対するネガティブな風説なんか鼻で笑ってきたけれど、インターネットを通じて才能のある人々を眺めていると、自分の人生が空虚に思えて落ち込むこともあったりした。そんな僕の人生をもう一度埋めてくれたのが、このあいだ発売した新書、さやわかさんが書いた『僕たちのゲーム史』であった。ゲームというのは、もちろんコンピューターゲームのことである。

http://ji-sedai.jp/book/publication/game.html

 本書はゲームの歴史を通じて、僕たちがなぜゲームを楽しんでこられたかを説明している。ゲームが楽しいことは当たり前だったハズなのに、僕はそのことを忘れていた。僕の子供時代は決して空虚ではなく、ちゃんとゲームばっかりやっていたのだということを、この本は思い出させてくれた。

 僕のためにあるような本なので、当然のことながら隅から隅まで面白かったわけだが、特に感銘を受けたのが1997年について書かれた部分である。本書の中で、さやわかさんはこう述べている。

 もし「長いゲームの歴史を、どこか一カ所で区切ってくれ」と言われたら、僕なら1997年を選びます。
(中略)
 1998年以降のゲームを楽しめる人たちは、それ以前に取っつきにくさとを感じるかもしれません。逆に1997年までのゲームが好きだった人は、それ以降のゲームは大きく変化してしまい、あまり遊びたくないと思うかもしれません。


 衝撃だった。まさにその通りだったからだ。
 あの頃、僕の生活には大きな転機があった。具体的には、上京した。毎日とても忙しくて、たまに友人と趣味の話をすると、「忙しくてゲームは殆どやっていない」なんてことを話すようになっていた。でも、よくよく考えてみれば、僕の一人暮らしの部屋にはちゃんとプレステがあったし、ドリームキャストは上京してから買ったのだ。僕は忙しくても、ちゃんとゲームソフトを買って遊んでいた。にもかかわらず、わざわざ「ゲームは殆どやっていない」という態度をとろうとしたのは、なぜだったか。
 それは、ゲームをつまらないと感じるようになっていたからだ。メタルギア・ソリッドは楽しめたが、その第2作はつまらなかった。ファイナル・ファンタジーⅦは2周目まで遊んだにもかかわらず、Ⅷは2時間ほどで投げ出してしまった。大好きだったはずのゲームがいつの間にか楽しめなくなったことに、僕は耐えられなかった。だから、「やっていない」ことにしてしまったのだった。『僕たちのゲーム史』の中で語られた歴史は、そんなことまで鮮明に思い出させてくれた。

 反対に、僕がゲームで遊ぶ理由がはっきりとわかった。それは、楽しいからである。ひぐらしのなく頃には全部やったし、The Elder Scrollsシリーズの4作目であるオブリビオンでは、最近まで遊んでいた。本書はそういったごく最近のゲームにも触れ、そしてゲームの未来についての内容で締めくくっている。

 この本では、当時ゲームのまわりにいた人々の言葉が数多くとりあげられている(それがまさに本書の中核でもある)。ゲームの開発者が主で、ゲーム関係の情報誌に載せられた文章も引用されているが、どれも大人たちの言葉である。一方で子供だった僕は、ただひたすらゲームをプレイするだけだったけれど、本書を通じておよそ三十年のゲームの歴史を見渡すと、それが築かれていく中に自分がいたのだと、確かに感じるのである。

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LOL第15号

 本当はLOLを非公式ガイドブックで紹介したかったのだが、編集会議の空気でなんとなく言い出せなかった。だが僕にはそれなりに権限があるのだから、本気で頼み込めば載せられるはずである。長いサラリーマン生活で培った卑屈さを役立てるのだ。ちなみに前回の非公式ガイドブックには牟礼鯨さんの『ガリア女』を掲載したが、TL騒乱罪により「自分で自分の作品についてコメント書くの刑」を受けていただいた。次回、もしLOLを載せることができたら、屋代さんにはノンブルの位置まちがえ罪により同じ刑を受けていただこうと思う。

 文学フリマでは毎回、LOLを読むのを楽しみにしている。LOLはいろいろ載ってて楽しい。いろいろとは言っても屋代さんカラーで統一されているし、バランスも考えられている。LOLはお弁当であって、毎回おかずをチョイスして詰めてくれる屋代さんはお母さんなのかもしれない。ただしシリアル・ママみたいな感じのである。

http://lollollol.exblog.jp/18234601/

 ところで今回のLOL第15号はすごかった。なかでも傑作だと思ったのはアイヌ・ケンネル氏の『鎮守の森の夜祭』だ。これは冗談ではない。真剣にこれは傑作だと思う。僕は小説を書くとき、その場面でキャラクターの心情を描こうとして表情に出るタイプである。大怪我して死にそうなときとかはグワーッていう感じの顔で書いている(本当)。そんな僕がいま真剣な顔でキーボードをタイプしているのだから、信じて大丈夫である。
 本作の良さをひとことであらわすならば、大便である。小さい子供はうんこの話とか好きだが、子供のうんこはかわいいので、ギャグとして軽い。大人のうんこはハード・ブロウである。大便の「大」は大人の「大」なのだと本作は暗に語っている(いません)あと、本作には魔法男子中学生が登場してオナニーマジックを披露するし、それでいて、信じがたいことに探偵小説なのである。なんかここまで書いてしまうとネタバレっぽいが心配無用。この設定からあのラストは誰にも想像できない。もし想像できたやつがいるとしたら、就職前のやつは就活に失敗するし、すでに就職しているやつは明日寿命が尽きる。それくらい面白いので(どれくらいだ、)絶対読んで欲しい。

 それからツイッターとかで文学フリマ終了直後から話題になっていた反現代死lmdjasだkg氏の『昔のエヴァンゲリオン』は噂にたがわぬクレイジーっぷりであった。この作品と今村友紀氏の『マスカレイドの零時』が同じイベントで発表されたことには運命的なつながりを感じさせられる。もし反現代死lmdjasだkg氏と今村友紀氏が向かい合って互いの作品を読んだとしたら、ガッシリと握手しつつ、内心お互いに「フッ、俺のほうがクレイジーだがね」とか思うに違いない。

 あと石橋さんの生存が確認できてよかった。非公式ガイドブックの編集会議で、巻末におまけ小説を載せたらどうか、という案が出されたとき、石橋さんの姿が頭をよぎった。屋代さんに投げ飛ばされたときの姿がである。

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マスカレイドの零時

 秋山真琴さんが主催されている往復書簡に、「面白いとは何か」というお題を投下(もしくは譲崎ネロでSSを書くという2択)したところ、伊藤鳥子さんが、「起承転結」をしっかり付けることと「セックス&バイオレンス」、と回答された。人生の先輩はいつも大切なことを教えてくれる…と心から思った。(ちなみに秋山さんは譲崎ネロでSSを書いた。)
 なぜその話をするのかというと今村友紀さんの『マスカレイドの零時』を読んだからである。本作は「セックス&バイオレンス」どころか、デストラクションであり、キル・エム・オールであり、白くて清潔感のある表紙が白々しく思えるほど赤とピンクに染め抜かれている。ただし、本作におけるバイオレンスとは、伊藤さんがいうバイオレンスとはおそらく意味合いが違う。
 冒頭でレイディーは、すべては任務遂行のために完璧で、自分は物事を確実にやりとげると宣言する。それから、彼女は煙草をポイ捨てするので悪者である。ハリウッド映画で十分に教育された我々の世代は、この手の悪者が用意周到で計画的であることをよく知っている。なのでレイディーはきっと何の痕跡も残さずにターゲットを始末していくのだろうと予想する。ところが、彼女の仕事ときたら、いきあたりばったりで雑である。セックスの最中にその相手がターゲットだと気付いたり、顔や表情を隠すために能面を被って出て行きかえって目立ったり、ぜんぜん完璧なんかじゃないのである。
 我々が通常考えるようなプロセス――ある目的のために計画し、実行の過程があり、その先に結果がある、というような――からすれば、レイディーの行動はトンチキで無謀に思える。しかし、先ず結果がある、という見方をした場合はどうだろう。本作の目的、というか結果が破壊そのものであるとするならば、そこへ至る手段としての彼女は無計画で然るべきなのかもしれない。
 行き当たりばったりのほうが、派手に暴れてまわるには都合がいい。言われてみればハリウッド映画の悪役も、つまらないことで尻尾を出し、最後には銃撃戦と爆発になだれ込むではないか。

http://imamura-tomoki.tumblr.com/

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Preseved flower

 本人が聞いたら「お前誰だ」ってことになるとは思うが、鳥久保咲人氏には注目していたのである。したがって、氏が『Preseved flower』という完璧な短編小説を発表されたことを大変嬉しく思うし、僕の目に狂いがなかったという意味で誇らしくも思う。(我ながらうざい。)
 作中において人と人とがわかりあうことは決してない。物語は全て内なる世界への旅であり、初めて出会った大切に思える人、それすら自分の鏡像である。やがてその相手は自分とは違う他者であることを知り、少年は彼女に向けた愛がエゴであることを認めながら、それを肯定し、愛し続ける。肯定の物語を最後まで美しく描ききることに、鳥久保氏はとうとう成功したのだ。本当に素晴らしい。
 本作はキャラクターの造形がいい。ヒロインの神山も良い雰囲気だが、なんといっても主人公である。むやみやたらに深刻な悩める若者でありながら、どこかとぼけた台詞まわし、かと思えば直情的なところも見せたりして、その存在感を印象付けると同時に、緩急つけながら物語をひっぱっている。
 また、脇役の大人たちは、主人公との短いやりとりを通じて、作品に味わいを持たせつつ、レールを踏み外して思うままに突っ走る主人公をさりげなく肯定するという、重要な役割を担っている。それは少年の、見方によっては身勝手な想いを、世界が受け入れたことを意味している。この世界観は好きだ。

http://yaneuranoinja.blog82.fc2.com/

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千刺万紅 - After the Endroll

 ひとりの人間の人生を描こうとするなら、その人をとりまくたくさんの人々を描かないわけにはいかないだろう。なぜなら、それをしないというのはピントのあわないレンズみたいなもので、スクリーンにだれの目にもそれが人間だとわかるような像を結ばないからである。人間のかたちを、他のだれか、あるいは自分自身に認識させるのは、現在と過去において交わってきた人々であり、その人間の肌の質感や軽薄さ、歯並び、毛穴の形状、わがままで気まぐれな性格、騙されやすいところや、あるいは慎重さ、服のセンス、預金残高、苦手な食べ物といったディティールを描くことができるのは、彼らにおいて他に無い。

 しかしながら、ひとりの人生の物語は群像劇とは違う。たくさんの登場人物はみな個性的ではあるが、彼らの物語は断片的にしか語られないし、結末を見届けることもできない(見届けたつもりにはなれる)。ある人生を視点として選択した場合、その他の人間はみな舞台装置に過ぎなくなる。あなたは、それを寂しいと思うかもしれないし、ひとりの確かな存在、すなわち人生の主役が物語と共にあり続けることを、頼もしく思うかもしれない。

 シアワセモノマニアの青波零也さんと砂紅果香(高村暦)さんの共著『千刺万紅 - After the Endroll』は、もともとはシスルの人生を描くことが目的ではなかったのかもしれない。(あとがきからは、そんなふうにうかがえる)終末の国を舞台に、七つの曜日を冠した連作として制作された本作には、それぞれに魅力的なキャラクターが登場する。鳥の塔の秘密を追いかけるアリシア、その塔の代行者として実力を行使する立場でありながら、ある不安を抱えたシルヴィ、郵便屋のアネモネに、天才科学者ウィニフレッド…みな、読書を終えた僕にとって忘れえぬ人々で、シスルにとっても同じであろう。彼女たちとの出会いと交流、そして別れのひとつひとつが、彼のたった一度の人生がいかに素晴らしく、いかにかけがえのないものであるかを、まるで絵の具をキャンパスに乗せるように、大切に描いていくのである。

http://happymonomania.sakura.ne.jp/book/
http://books.doncha.net/happy-reading/detail.pl?uid=63146440&bookid=152

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Memento-Mori

KOUさんの『Memento-Mori』は人間の死を主題にした作品であった。

http://azurelyblue.yu-nagi.com/works/memento.html

序盤のぐっと引き込む感じ、そして中盤からの劇的な盛り上がりが素晴らしかった。謎解きの部分は、もっとページ数を使って主人公に解かせたほうがよかったのではないかと思った。(というようなことを僕も他の人に言われたことがある)。ラストは良かった。

死んだらおしまい。人としての尊厳、保障、権利なんてものは、生きてこそだ。ところが長く生きて、持ちものや支えるものが多くなってくると、自分が死んだ後のことを考えるようになる。ただの肉の塊になったあと周囲で何が起ころうがどうでもよさそうなものなのに、人間とは不思議なものだ。「未来」という概念が我々このような発想を起こさせ、産業さえ生み出しているのである。少し前に、事件の被害者のmixiとかのログがマスコミに晒されたことがあり、なんかすごくゾッとした。あれこそ、死んだらただの肉の塊とみなす行為であり正しい認識だといえるが、もし自分の死後、少しの間だけ自分の財産を守る番人として蘇ることができたらいいのになあ、なんてことを、『Memento-Mori』を読んだ後で考えたりした。

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